分けない教育が優しさを連鎖させる
人と違う、ということ

小学校に入学したばかりのあゆくんは、気管切開の管が抜け、医療的ケアがいらなくなったばかり。
・身体は同じ歳の子どもたちより一回り小さく、階段を降りるのも手すりを使って一段ずつ。
・気管切開の穴を塞ぐテープを首にしていて、声もかすれて小さい。
いろんな部分が他の人と違っていたけれど、
通常級からスタートすることになった。
担任の先生には、「良かったら早い段階であゆくんのことをクラスのお友達に話して欲しい」と伝えていた。
「知らない」ことが憶測を呼び、行動を阻むこともある。
先生も快く同意してくれ、早々にクラスのお友達に、あゆくんがほかの人と違うこととその理由を話してくれた。
特別扱いではなく、寄り添うということ

入学したばかりの頃、あゆくんが悲しそうに帰ってきたことがある。
どうしたのか尋ねると、「首のテープを、モンシロチョウみたいだね、と言われた」とのこと。あゆくんのことを知らない他のクラスの子が、悪気なく言った言葉なのだけど、あゆくんとしてはとてもショックだったらしい。
情報の共有のために、先生にも連絡帳経由で状況を伝えたところ、クラスでこういう話をしてくれた。
「あゆくんも、嫌なことは嫌だと言わないといけない。でもクラスのお友達も、あゆくんのことを良く知っているのだから、ちゃんと守らなきゃ。」
言っても、みんな入学したての6歳とか7歳児。こんな話を聞いて、自分たちはどう動くべきなのか、頭をフル回転させて考えたと思う。
そんなある日のこと。クラスの子とあゆくんが2人で給食室に食器を返しに行った際、上級生から「あの子小さーい!」と言われという。
これまたきっと悪気のない言葉なのだけど、クラスの子はあゆくんを想い、「そんなこと言わないで!」と立ち向かったそう。更に今回はあゆくん自身も毅然として一緒に立ち向かったというから、成長を感じずにはいられない。
そして、お友達の存在があゆくん自身をも強くしていることを実感した。
嬉しかったこと、として担任の先生に伝えると、先生がまたクラスで話してくれた。「こういう時は何て返そうか?いま成長しているところなんです!って言おうか」たくさんの知恵や考え方を授けてくれた。
優しさは連鎖する

いま「支援級」とか「支援学校」とかがどんどん充実していっている。
人と少し違ったり、成長がゆっくりだったりすると「分けて」教育を行おうとするのが現在の日本の基本的な理念のようだ。
でも私は人と少し違う、行動もちょっとゆっくりなあゆくんのような人が1人、通常級にいることで相乗効果があるような気がしてならない。
周りの子どもたちは、こういった子に対してどう接すればいいか考え、実践する。さまざまなことが起きるけれど、その都度対応していく力が養われていく。
あゆくんはあゆくんで、自分を肯定してくれるお友達の存在によって、「自分は自分でいていいのだ」と感じられる。自己肯定感が育っていく。
あゆくんは進級し、周りのお友達もたくさん入れ替わったけれど、
1年時に同じクラスだった子どもたちがあゆくんに接する姿を見て、それまで違うクラスだった子たちが同じようにあゆくんに手を差し伸べている。
そんな姿を見た時には、ああ、優しさって連鎖するんだな、と胸が熱くなった。
世界的には、障がいのある人もない人も一緒に学ぶ「インクルーシブ教育」が叫ばれて久しい。
いろんな人が、共に学び、生活する。
それが日本でも「当たり前」になるのはまだ先なのだろうけど、あゆくんたちのような、人としての小さな成長が答えとなり、大人たちを動かして行ってくれるのではないかと、密かな希望を抱いている。